備忘録

元翻訳者。英語、本、映画、その他なんでも、日々、感じたことやメモなど書きます。

ゴッホ展-響きあう魂 ヘレーネとフィンセント

昨日、上野の東京都美術館でやっているゴッホ展に行ってきました。

ゴッホ展─響きあう魂 ヘレーネとフィンセント

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ゴッホは、生前にほとんど絵が売れず、死後に弟テオの奥さんがゴッホの絵を売るために頑張ったという話は聞いたことがありましたが、ゴッホが高い評価を受ける前にその絵を見いだし、コツコツと収集していた女性がいたというのは初めて知りました。ヘレーネ・クレラー=ミュラーさんというその女性は最終的にクレラー・ミュラー美術館を建てるのですが、今回の展示はこの美術館から持ち込まれたもので、HPの情報によると「絵画28点と素描・版画20点」が展示されているとのことです。すごい量でした。

初期の頃の素描から始まり、その後、油絵を始め、パリに移り住んでからは絵の色調が大きく変わり、新たな希望を抱いて南フランスのアルルに移り住み、ますます明るく力強いたくさんの作品を残し、その後、サンレミ、オーヴェル=シュル=オワーズでは体調を崩して病院や療養所で過ごしながらも力強くも優しい作品をたくさん残していく。その時代時代の絵が豊富に展示されていて、見終わった時にはひとつの大きな人生を共に過ごしたような感覚になりました。

ゴッホが絵を描いている期間はたったの10年ほどなのですが、その間、頻繁に移動し、様々な出来事があり、その間、絵も刻々と変化し、進化している様子が見て取れます。

ゴッホの人生にはたいへんな出来事が次から次へと起きますが、その時代にゴッホが描いた絵を見ると、何が起きても絵に対するゴッホの情熱がまったく揺らいでいないことが感じられます。自分の絵が将来こんなにも多くの人に見てもらえるなんて夢にも思わってないだろうし、いろいろな挑戦をしてもうまくいかない中で、どんな気持ちでこの10年を過ごしていたのか。特に後半部分の絵は力強さがどんどん増していくように見えるのですが、私生活では心を病んだりして苦しい時代だったろうと思うですが。評価はされなくても自分の絵を信じていたのか、それとももっと無心で描きたい気持ちだけに押されていたのか。

新しい絵の手法を始める時などはちゃんとその絵の先生について、その時々で目指すべき画家や方向性を決めて研究したりもしていて、意外と冷静で知的な人だった印象です。とても読書好きでもあったそうです。

クレラー・ミュラー美術館を建てたヘレーネさんは、ゴッホがまだ今ほどの評価を受けていなかった時にその絵を次々と収集し、それがきっかけでゴッホの絵が注目を集めるようになったそうです。このヘレーネさん自身は、良妻賢母となるよう教育され、実業家と結婚後に4人の子供を持ち、娘の絵画教室で出合った絵の先生の影響で絵の収集を始めたとのこと。この生い立ちも、もともと絵を勉強していたとかそういう業界にいたとかではないところが興味深い。旦那さんの金銭的なバックアップがあったとはいえ、ゴッホの絵の良さに気づき、あれだけ精力的に収集し、さらに後世に残すことまで考えていたというのは、鑑識眼はもちろんですがその大胆さに驚かされます。

 

上野は知らないうちに、きれいに整備されて気持ちの良い空間となっていました。

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帰りに「上野の森Park Side Café」という美術館近くのカフェでご飯を食べました。テラス席が気持ち良くて、注文したカレーもケーキもおいしくて、久しぶりの都会での外食でリラックスした時を過ごしました。

最高の一日を過ごしました。ありがたい。ありがたい。